子どもたちの目に涙?そのわけは? Tears in children’s eyes? Why?
ブラジル インダイアツーバのMARIOです。前回からだいぶあいてしまって、申し訳ございません。冬の記事から一気に夏の記事へ。 真夏の暑さでへこたれるかと思いきや、今年の夏は去年ほど暑くない・・・あれっ?去年の夏は11月く […]
ブラジル インダイアツーバのMARIOです。前回からだいぶあいてしまって、申し訳ございません。冬の記事から一気に夏の記事へ。 真夏の暑さでへこたれるかと思いきや、今年の夏は去年ほど暑くない・・・あれっ?去年の夏は11月く […]
サンジョゼドスカンポス市は宇宙・航空技術に関する研究所や大学があり、世界的に有名な航空機製造メーカーのエンブラエル社の拠点があります。人口は約69万人の都市で、日系人は約1万人住んでいるそうです。町には、移民100周年を記念した鳥居が建っていたり・・・
ベトナム人が発音しやすくするために、キャラクターの名前は変更されました。例えば、「ドラえもん」の場合は、「のび太」(Nôbita)はそのままですが、「ドラえもん」は「どれもん(Đôrêmon)」、「しずか」は「すか(Xuka)」、「スネ夫」は「せこ(Xêko)」、「ジャイアン」は「チャイエン(Chaien)」、「ドラミ」は「どれみ(Đôrêmi)」になっています。
“世界のウチナーンチュ” とは、かつて海を渡って異郷の地に生活を開拓した沖縄出身の「移民」の方々、もしくはその親族や子孫の方々のことです。この記事では大会本番を迎える前の、私の実感としてメモする目的があるので、サラっと書いてみます。
私は、日本語のブースを担当しました。私の目的としては、このイベントを通して、サンフアンに住むボリビア人にもっと日本のことを知ってもらいたいなと思っていたので、ボリビア人向けに、名前を日本語の文字で書いてプレゼントするコーナーと射的で遊びながら、日本の挨拶を知ってもらうコーナーを用意しました。
このように震災からの復興はもとより、国民生活に多大な影響を与えた燃料不足の原因となった国境封鎖は、2016年2月まで続きました。封鎖が解除された直後も、物資の流通はすぐには回復しなかったそうですが、その後はあまり混乱しているような話は聞きません。その後のネパールはどうなっているのか…?8月に自分の目で見て肌で感じて来ようと思います。
すでに去年のことになりましたが、2015年11月23日に横浜にある「あーすぷらざ」、神奈川県立地球市民かながわプラザで、「にほんごしゃべり場かたりーな」というイベントに参加してきました。
9月4日に、カウナスで1940年に「命のビザ」という通過ビザを発給し、6000人のユダヤ人を救ってれた杉原千畝のためのプレートが披露されました。 危ないときに 1940年の8月28日です。リトアニアのソビエト占領の4ヶ月 […]
かのように、中国文明がいきいきと生きているように見える長崎であるが、実際の華僑の人々の生活はどのようであったのか。 ちゃんぽんの考案者・陳平順氏の曾孫にあたり、長崎の有名な中華料理店「四海楼」の代表取締役である陳優継氏の […]