沖縄県・某町史編さん事務局で働いています(後半)
あの戦争は何だったのか、なぜ繰り返されるのか。その答えは曖昧なまま、基地撤去が実現しなかった経緯も現実も苦しさも、ずっと続いている。安全なところで対話をして過去と向き合い、可能性を見出せないか。記録や編集の作業を通して見つかることもあるかもしれない。それを信じて、目を見開いて生活を見渡し、いろいろな声を聴きたい。考えることを辞め(させ)ない工夫につなげたいと思う。
あの戦争は何だったのか、なぜ繰り返されるのか。その答えは曖昧なまま、基地撤去が実現しなかった経緯も現実も苦しさも、ずっと続いている。安全なところで対話をして過去と向き合い、可能性を見出せないか。記録や編集の作業を通して見つかることもあるかもしれない。それを信じて、目を見開いて生活を見渡し、いろいろな声を聴きたい。考えることを辞め(させ)ない工夫につなげたいと思う。
airiです。私は沖縄県のある町の町史編纂事務局で働いています。今回は、その仕事をしながら考えさせられることを共有させてもらおうと思います。 沖縄戦の戦闘経緯 「人は最初、どこから腐ると思う?…ハハッ(笑い […]
“世界のウチナーンチュ” とは、かつて海を渡って異郷の地に生活を開拓した沖縄出身の「移民」の方々、もしくはその親族や子孫の方々のことです。この記事では大会本番を迎える前の、私の実感としてメモする目的があるので、サラっと書いてみます。
祖父の手記を読んで、まるで自分の目で戦場を目撃したかのように濃い追体験的な取り組みを通して、ここがかつて戦場だったということは日常の些細な部分に、それから心の深い部分に刻まれているように感じるようになりました。
今年も例年通り、沖縄県平和祈念公園(糸満市)にて「慰霊祭」が行われました。正午の黙祷を迎える前に式典が行われます。私は子どもの頃、23日の朝から祖父や祖父の妹弟や家族みんなで来たことを覚えていますが、式典に参加したことはありませんでした。
サンフアンのご高齢者はとにかくお元気。70歳を越えていてもゲートボールやパークゴルフを楽しまれ、ご自宅では畑仕事や家事と毎日お忙しそうです。また70歳からは寿会というクラブへの参加が可能となり、寿会での遠足やレクリエーション大会などを楽しまれているようです。
はじめまして。airiです。
私は今年大学を卒業して、教育関係の仕事をしています。
初投稿の内容は、大学時代に行っていた活動について書きます。
私の活動とは、16歳で沖縄戦を体験した祖父の戦争体験を語り継ぐ活動です。
9月4日に、カウナスで1940年に「命のビザ」という通過ビザを発給し、6000人のユダヤ人を救ってれた杉原千畝のためのプレートが披露されました。 危ないときに 1940年の8月28日です。リトアニアのソビエト占領の4ヶ月 […]
Language言語: English/日本語 Lytham 1940s War Time Festival was organized and cooperated by the town. Those battle […]