沖縄県・某町史編さん事務局で働いています(後半)
あの戦争は何だったのか、なぜ繰り返されるのか。その答えは曖昧なまま、基地撤去が実現しなかった経緯も現実も苦しさも、ずっと続いている。安全なところで対話をして過去と向き合い、可能性を見出せないか。記録や編集の作業を通して見つかることもあるかもしれない。それを信じて、目を見開いて生活を見渡し、いろいろな声を聴きたい。考えることを辞め(させ)ない工夫につなげたいと思う。
あの戦争は何だったのか、なぜ繰り返されるのか。その答えは曖昧なまま、基地撤去が実現しなかった経緯も現実も苦しさも、ずっと続いている。安全なところで対話をして過去と向き合い、可能性を見出せないか。記録や編集の作業を通して見つかることもあるかもしれない。それを信じて、目を見開いて生活を見渡し、いろいろな声を聴きたい。考えることを辞め(させ)ない工夫につなげたいと思う。
2013年8月15日、今年の終戦の日、私は沖縄県宮古島市にいる。
この島の小・中学校の先生方と話していて、東京(本土)では見えないことが見えてくる。私にとっては歴史上の第二次世界大戦という戦争が終わったことが「平和」の訪れとして重要に思えていたのだが、宮古島・沖縄県では、それ以上に6月23日の沖縄戦、5月15日の沖縄返還・本土復帰という日付が大きな意味をもつ。