慰霊の日を過ぎて思い出したこと(2)Recollecting the Okinawa memorial day of this year (2)
今年の6月23日。全国から取材陣が集まる式典会場。
その外側、モモトマナの木陰にシートを広げて私たちは座りました。
テカテカの上等(高級)な車に乗った国の偉い人たちが通りすぎる様子を、この木陰から見ていました。今年は小学生のいとこが来ていて「あれが偉い人?アベさん?」と立ち上がってキョロキョロしていました。
この日、いつもの木陰には立入禁止のロープが張り巡らされていました。叔父さんたちは仕方なくロープぎりぎりの外側に座っていて、私も合流しました。そこから式典の進行は全く把握できませんが正午の鐘で会場内にいる人々が目を閉じ黙祷をします。また県内全域でも、主にラジオ放送を通じて黙祷の時間を知らせます。県内の学校はお休みです。
2016年の私は例年通り、この黙祷の時間に“戦争を二度と繰り返してはいけない、平和を創り続けていきたい”と考えていました。一方で漠然と“焦りや不安”を感じていて、聞こえてくるのは自分の声でした。この一日だけでも“死者の声”に耳を傾けるべきだったと思いました。そして沖縄戦で奪われてしまった多くの未来について想像すべきでした。
1か月以上経った今、この記事を書きながら反省しています。
祖父の手記を読んで、まるで自分の目で戦場を目撃したかのように濃い追体験的な取り組みを通して、ここがかつて戦場だったということは日常の些細な部分に、それから心の深い部分に刻まれているように感じるようになりました。
しかしそれでも、分かった気になって実は何も理解しないまま、多くのことを忘れてしまったかもしれない・・・。他人の傷跡をしっかり見て大切なことを思い出し続けるべきだと思います。体験者に委ねるばかりではなく、次の世代から手を伸ばさなければ何かが離れていってしまうような気がします。これまでは正しさを与えられるばかりでしたが、これからは欠かすことのできない大切なことが何なのかを考えて手放すことの無いようにしたいです。
◎「平和の礎」について(サイト)
http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/shisetsu-ishigi.html
◎2016年の慰霊の日に出会った広島の同世代たち
http://ameblo.jp/masa7891011/entry-12175581788.html
http://www.huffingtonpost.jp/nao-fukuoka/consume_words_b_10441876.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001