サンパウロ州イビウーナ日本語学校だより
戦前移民から戦後移民まで、ブラジルのサンパウロ州、イビウーナには現在600家族が住んでいると言われている。
車のない時代、市内にあるブラジル学校に子ども達を通わせるため、1948年寄宿制のイビウーナ日本語学校が設立された。午前中はブラジル学校でポルトガル語を学び、午後は日本の教科書を使って日本語を学んでいたのである。日系移民は、その後今日イビウーナ文化体育協会と呼ばれる日系団体の基を設立した。学校のあるイビウーナ文協の敷地は、かつてコチア組合(戦後移住の方が作った組合)のものであった。緑豊かな広大な敷地に野球場3面、テニスコート2面、353mトラックのあるグランド、イベント会場の会館などがある。
文協敷地に願う「コチア組合共栄半生の碑」
緑に囲まれた文教敷地。ここで多くの方が苦楽を共有し思い出を作っていった。
1989年には150人が在籍していたイビウーナ日本語学校の生徒数は、現在28名と減少している。すべての生徒は午前中ブラジル学校に通い、午後12時半から16時半まで日本語学校に来て日本語やそろばん、計算、書道などを勉強している。週に2日、3日、5日と通学日数が異なるので、クラスの中の日本語レベルは異なってくる。
大半の子どもたちは幼稚園の頃からブラジル学校に通っているので、母語はポルトガル語である。当然、日本語を学ぶ必然性や動機は育ちにくく、教師は子ども達の興味関心を引き付ける授業内容と計画に苦心している。かつての日本語学校と同じような日本語の内容を教えるのは難しい。このような環境下にある日本語学校は、目標をどこに設定し何を教えていくべきなのかを模索している。
それにもかかわらず、子ども達は学校が大好き、友達も大好きで、喜んで通学してくる。その原因は何であるのか。それは安心していられる環境が日本語学校にあるからである。親は子どもが生まれる前から知り合いであり、子ども同士も小さい時から知り合いという近い関係の中にいること、日本にルーツを持つ共通性があってホッとする環境がある。
子ども達が仲良くしている場面を紹介しよう。
幼稚園児の歯磨きを、上の学年の子が交代で面倒を見る「歯みがき隊」の活躍
高校生から幼稚園児まで仲良くサッカー。
文協行事、学校行事には全員が一緒に練習、。上の子は下の子を導き、下の子は上の子のいうことをよく聞く。先生の言うことよりもよく聞くと言ってもいいくらい。
卒業式の練習では、みんなで座席の用意、後片付け。大きい子は椅子を持ち上げ、小さい子は椅子を運ぶ。
日本へ次世代育成研修に行った高校生の卒業生は、自分の成果を後輩のために報告。こうした機会に少しでも日本に興味関心を持ってくれたらと願う。
幼稚園児から高校生までなかよく昼ご飯
以上のように、子ども達は心も体も開放され、日本語学校での生活を謳歌している。一方成長期にある子ども達であるがゆえに、学校生活を謳歌するその内容が問われてくる。何を学び、何を目指していく学校なのか、急速にブラジル化している保護者や子ども達を前に、教師は試行錯誤の中にあると言ってよい。
そのような実態の中から、「ブラジルと日本の複合文化が見えてくる」「新しい発見を得ることができる」「友達と何かを作り上げる喜びがある」この3点を目指して、学習内容について論議してきた。現在、「日本語」「体育」「そろばん・計算力」「クラブ活動(マンガ、マレットゴルフ)、「日本語能力試験対策」「そうじ」、そして週1回の文化授業を時間割に配置し、教師が相談しながら各授業時間を工夫している。