ウチナーンチュ(沖縄人)の大会?! International Uchin!?anchu (people from Okinawa) Event?!
“世界のウチナーンチュ” とは、かつて海を渡って異郷の地に生活を開拓した沖縄出身の「移民」の方々、もしくはその親族や子孫の方々のことです。この記事では大会本番を迎える前の、私の実感としてメモする目的があるので、サラっと書いてみます。
“世界のウチナーンチュ” とは、かつて海を渡って異郷の地に生活を開拓した沖縄出身の「移民」の方々、もしくはその親族や子孫の方々のことです。この記事では大会本番を迎える前の、私の実感としてメモする目的があるので、サラっと書いてみます。
祖父の手記を読んで、まるで自分の目で戦場を目撃したかのように濃い追体験的な取り組みを通して、ここがかつて戦場だったということは日常の些細な部分に、それから心の深い部分に刻まれているように感じるようになりました。
第一話:チリ、サンティアゴに一ヶ月(1)からの続き サンティアゴでお土産探し 次は「セントロ・アルテサナル・ロス・ドミニコス」というお店やカフェがある、小さな伝統的な村に向かいました。現地の人によると値段は […]
サンティアゴについた瞬間、コートを手荷物で持ってくればよかったと後悔しました。私が現在住んでいる日本は北半球にあるので7月は夏ですが、チリは南半球にあるので冬です。私はもちろん夏服を着てでかけたわけです。
今年も例年通り、沖縄県平和祈念公園(糸満市)にて「慰霊祭」が行われました。正午の黙祷を迎える前に式典が行われます。私は子どもの頃、23日の朝から祖父や祖父の妹弟や家族みんなで来たことを覚えていますが、式典に参加したことはありませんでした。
私は、日本語のブースを担当しました。私の目的としては、このイベントを通して、サンフアンに住むボリビア人にもっと日本のことを知ってもらいたいなと思っていたので、ボリビア人向けに、名前を日本語の文字で書いてプレゼントするコーナーと射的で遊びながら、日本の挨拶を知ってもらうコーナーを用意しました。
スポーツ交歓会が終了してからは、各々にネームを交換して、またねーと声をかけ合っていました。こうして、コミュニティの垣根を越えて交流があるのは、これからのますます大事になると思うので、生徒達にはこの思い出を忘れずに、次世代に残していって欲しいです。
サンフアンに来て、もうすぐ一年になりますが、食事に困ったことはありません。 私は学校の職員住宅で一人暮らしをしています。ボリビアで家を借りると大抵は、必要最低限の家具家電、調理用具は揃っているそうです(揃っていなければ交 […]
このように震災からの復興はもとより、国民生活に多大な影響を与えた燃料不足の原因となった国境封鎖は、2016年2月まで続きました。封鎖が解除された直後も、物資の流通はすぐには回復しなかったそうですが、その後はあまり混乱しているような話は聞きません。その後のネパールはどうなっているのか…?8月に自分の目で見て肌で感じて来ようと思います。