世界のウチナーンチュ大会(私的)レポ(2) (Personal) report on Worldwide Uchinanchu Festival 2016(2)
airiです。 実は、5年前の2011年にもウチナーンチュ大会に遊びにきました。そのときはまだ何も知らなかった私は、“お祭りだ!屋台だー!”という感じで会場へ来て、とりあえずグッズを買ったような記憶があります。 今回はゆ […]
airiです。 実は、5年前の2011年にもウチナーンチュ大会に遊びにきました。そのときはまだ何も知らなかった私は、“お祭りだ!屋台だー!”という感じで会場へ来て、とりあえずグッズを買ったような記憶があります。 今回はゆ […]
前回予告した通り、「世界のウチナーンチュ大会」(4日目/大会は全5日間)について書きます!
藤田ラウンドです。2016年10月26日に宮古島市で「みゃーくふつと日本語:バイリンガルが育つには」という講座をしてきました。
“世界のウチナーンチュ” とは、かつて海を渡って異郷の地に生活を開拓した沖縄出身の「移民」の方々、もしくはその親族や子孫の方々のことです。この記事では大会本番を迎える前の、私の実感としてメモする目的があるので、サラっと書いてみます。
祖父の手記を読んで、まるで自分の目で戦場を目撃したかのように濃い追体験的な取り組みを通して、ここがかつて戦場だったということは日常の些細な部分に、それから心の深い部分に刻まれているように感じるようになりました。
私は、日本語のブースを担当しました。私の目的としては、このイベントを通して、サンフアンに住むボリビア人にもっと日本のことを知ってもらいたいなと思っていたので、ボリビア人向けに、名前を日本語の文字で書いてプレゼントするコーナーと射的で遊びながら、日本の挨拶を知ってもらうコーナーを用意しました。
スポーツ交歓会が終了してからは、各々にネームを交換して、またねーと声をかけ合っていました。こうして、コミュニティの垣根を越えて交流があるのは、これからのますます大事になると思うので、生徒達にはこの思い出を忘れずに、次世代に残していって欲しいです。
シーミー(清明祭)は中国伝来の文化です。沖縄では一年に一度の大切な家族行事となっています。最後はお供えしたものを下げるときには「ウサンデーサビラ」と言いますが、ウサンデーしたものを子孫である私たちもみんなで食べます。
参加者全員が、世界の多彩な地域を網羅するプレゼンテーションから、今回の題目である「マイグレーション、移住者と言語」について学ぶ機会となりました。
この学びの過程は、個人史(オーラルヒストリー)から全体の歴史へと展開しています。客観的に振り返ることでマンネリ化しつつある平和教育に何か有効な方法を提案できるかもしれません。