「孫が伝える沖縄戦」劇を振り返る・・・①劇の制作・出演のきっかけ Reflecting my experience of a play ” Story of the Battle of Okinawa Retold by the Grandchildren” (1): How it started
沖縄のairiです。
沖縄戦を伝える活動について、前回の内容から時間が経ってしまいました。
このような活動を始めた一番最初の『劇:孫が伝える沖縄戦』についてもう少し書いてみたいと思います。
私が大学2年生だった2011年末、「孫が伝える沖縄戦」と題して30分程の劇を発表しました。
脚本づくりは半年ぐらい話し合いを重ねて取り組んだのですが、実際に登場人物や構成が固まったのは本番2週間前でした。それに、全く演技経験のない私が私自身を主役とした内容になってしまいました。一緒に制作してくれた仲間たちと構成を考え、メインテーマはどうすべきかを話し合う中でなかなか言い切ることが出来なかった私に対して「もうそのままairiとしてやったらいいよ!」となってしまったのです。
劇の構成は、
(1)学生ガイドとして県外観光客に沖縄戦について説明している
(2)ガイド中、畑仕事をしているお婆さんに引き留められる
(3)ガイドの先輩に“よりインパクトのある絵”を求められる
(4)家に帰って父親から沖縄方言の地名や屋号などを学ぶことで見方が変わる
(5)体験者が本当に伝えたいことは何なのかを考え始める
(6)祖父の絵(約40枚)のスライドショーと本人映像
※劇終了後、会場の外の壁に絵を掲示
私は「私役」を務めたのでいろいろな混乱があるのですが、劇の構成は大体こんな感じです。
2016年現在の私がこの劇を振り返ると、また、改めて考えることや見逃していたことなどに気づかされます。それらを一本の記事にまとめきれないのでこれから4本(仮)に分けて書いてみたいと思います。
①きっかけ
②制作の過程
③関わった人のコメントなど
④反響やその後の活動
今回はまず、劇の形で伝えることになった①きっかけについて取り上げます。
きっかけとなったスケッチブック。
祖父は、戦前~沖縄戦~終戦直後の記憶をスケッチブックに描きました。
前回の記事
祖父が2005年ごろに描いたスケッチブックの絵は、40枚程あってそのうち戦争体験の絵が10枚未満、それから戦前(沖縄戦直前)の絵が大半を占めていて、終戦直後の復興期の絵がいくつかあります。祖父はテレビなどの取材なども何度か受けたようです。
私は大学で教育学部に進学し、「平和のことを学ぶ講義」を期待していましたが必須科目と講義時間が被っていたりレベルの高い内容の講義などが多くて、学ぶ機会がありませんでした。その頃、元小学校教員の方が開いている教職の講義で「私は平和教育に携わっていて・・・」と紹介程度に話したことがありました。そのことが気になって祖父の絵をコピーして先生の元へ持っていき「この絵をどうにかして広めたいと考えていますがどうしたらいいか分かりません」と伝えました。その先生はその後、県内小学校で取り組んでいる平和学習の授業やガイドの方を紹介してくださったり、伝える活動をしている方などを紹介して学ぶ機会を与えてくれました。
なぜ私は祖父の絵を広めたい、と考えたのか。祖父は私が小さい頃からお酒を飲んだ時などに断片的な体験の記憶を話してくれて、私はそれをよく聞いていました。小学校でも平和について学びました。しかしなぜ人が戦争をするのか子ども心に全く理解できず、大人になったら「戦争をするのは大きな間違いだ、と教えてあげなければいけない」と考えるようになっていました。しかし、いざ人前で祖父の絵について説明しようとしても言葉が出てこなかったのです。私はただ涙を流しながら自分が実は何も知らなかったことにようやく気付きました。
それから気になったこと、分からないことがあれば祖父の家を訪ねて話を聞きました。祖父は絵だけではなく手記に体験をまとめていることを初めて教えてくれて、あまり外部には出さないでほしいと付け加えて手記を読ませてくれました。祖父は家族にさえ、その手記のことを話していませんでした。手記には祖父がたまに話してくれるような「戦場の、あの一場面」を含めて、時系列で丁寧に戦時中のことが書かれていました。そこには、それまで聞いたことがなかった母親の死について書かれていました。普段全く見せることの無い祖父の感情的な部分をその手記から読み取ることが出来ました。単純に「悲しさ」とは言い切れない複雑な感情がありました。
また、祖父のノートに書かれた内容のうち、地図でも探すことのできない地名がたくさんありました。この地名を知ることでようやく祖父の体験を立体的にイメージすることが出来て、とても濃い追体験をすることになりました。それからは沖縄戦研究の本を読んだりガイドの方に教えていただいたりしながら「沖縄戦」の歴史を多角的に知っていきました。
この学びの過程は、個人史(オーラルヒストリー)から全体の歴史へと展開しています。客観的に振り返ることでマンネリ化しつつある平和教育に何か有効な方法を提案できるかもしれません。私は「私役」を演じたことの意味をもう少し振り返って、未来を考えていきたいと思っています。