秘露と日本 Peru and Japan
#秘露と日本 「秘露」 この漢字が読める人はどれくらいいるでしょうか。この漢字は「ペルー」と読みます。日本から遠く離れた、地球の裏側にあるこの国と昨年で外交140周年。日本でのペルーのイメージはマチュ・ピチュに代表される […]
#秘露と日本 「秘露」 この漢字が読める人はどれくらいいるでしょうか。この漢字は「ペルー」と読みます。日本から遠く離れた、地球の裏側にあるこの国と昨年で外交140周年。日本でのペルーのイメージはマチュ・ピチュに代表される […]
前回の投稿のころはまだ寒かったのに、もう大久保にも桜が咲き始めた。来週には、きっと満開だ。 少し日が経ってしまったけれど、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。 ぼくはというと、今日から少し関西に出かけるこ […]
この左の写真の奥に見えるのが伊良部島である。来年には、伊良部島と宮古島が結ばれる橋が開通される。そのため、橋がかかる後を見越して、宮古島中心地から久松に繋がるあたりは、道路沿いに新たなマンション、コンクリートの建物が著し […]
宮古島は2005年10月1日に旧5市町村が合併して、宮古島市となり、現在は、「宮古島」「池間島」「大神島」「伊良部島」「下地島」「来間島」の6つの島、そして「多良間島」「水納島」が宮古郡多良間村に属している。 私は「多文 […]
全然見ないでいるうちに、ソチオリンピックは終わってしまったようだ。さて、1964年の東京オリンピック後、70~80年代の大久保はいったいどんな町になっていったのだろう。 かねてから引いている稲葉佳子さんの本 […]
もう2014年も2月に突入したけれど、昨年2013年は、1923年の関東大震災から90年だった。 関東大震災といえば、大地震・そして火災によって多くの被災者を出すとともに、根も葉もない偏見やうわさが流布し、住民の自警団そ […]
さて、引き続き大久保の歴史について見ていこう。 明治以降、多くのひとが流入し郊外宅地として発達した大久保。では、その新たな住民とは、いったいどのようなひとだったのだろうか。 『「移民国家日本」と多文化共生論 […]
さて、そんなわけで大久保の歴史を調べています。 前回書いたのが、百人組のいた頃、江戸時代の話だった。ではその後、明治以降の近代化では、大久保はどのように変わっていったのだろう。 そこでまた参考にしたいのが『 […]
年を越している間に、前回の記事からずいぶん間が空いてしまった。 ぼくはこの間、ちょっとした調べものをしていた。 それは、大久保の街の歴史についてだ。 前も書いたように、ぼくの住んでいるあたりは百人組という集団の由来の地ら […]
『ディアスポリス』を読んで以来、大久保の街について関心がどんどん膨らんでいる自分がいる。 もっと知りたい。歴史を、街の空間の広がりを、もっと立体的に知ってみたい。そんな思いがいっぱいだ。 そうはいうものの、 […]