しあわせ薬師如来 Happy Medicine Buddha
『ディアスポリス』を読んで以来、大久保の街について関心がどんどん膨らんでいる自分がいる。
もっと知りたい。歴史を、街の空間の広がりを、もっと立体的に知ってみたい。そんな思いがいっぱいだ。
そうはいうものの、
街の歴史を調べるのって、簡単なようで案外難しい。
図書館に行ってみたものの、お目当ての本は借りられていて、他の本もめくってみたけれど、
なんだかいまひとつ。
ちょっとぐったりしながらプラプラ歩いていた時、目に飛び込んできたのが、これだ。
家の近くにある、小さな祠。「南無しあわせ薬師如来」と書いてある。
その由来について但し書きがあったので、簡単にまとめてみよう。
この薬師如来の像は、かつて弘法大師が近江国で作ったもので、病気や悪霊を追い払う力のあったものらしい。
しかし後年、江戸幕府鉄砲組百人隊の頭である久世三四郎が大久保の百人町に屋敷をもらって住んでいたとき、
その像をお守りとして近江国から取り寄せたのだそうだ。
ところが、ある日、薬師如来が三四郎の枕元に現れて、「世俗の家ではなくてちゃんと祀ってほしい。そうすればみんなを幸せにできるよ!」
みたいなことを言ったため、こうして今は祠に祀られているとのこと。
なるほどー、そんな由来があったのね。
ちなみに、ぼくは弘法大師の出身地である香川県で育ったので、弘法大師と言われると個人的にはちょっと嬉しかったりもする。
しかし、但し書きでそれよりも気になるのは、「江戸幕府鉄砲組百人隊」だ。こんなところにも刻まれているし。
幕府の鉄砲隊ということ?百人いたの?百人町の由来ってそこからということ?
うーん、気になる。大久保の歴史、まずは、百人隊について調べてみることにしよう。