韓国調査こぼれ話(3) 私と韓国との出会い
韓国には、ここ6年、年に一度の調査旅行に出かけている。
初めて韓国にいったのは1990年だった。
1989年まで、私はイギリスの大学で日本語教師をしていた。当時、日本経済のバブルが関心を集め、アジアに注目が集まった頃である。私の勤めた大学も日本研究所が拡張してアジア研究所になり、副専攻として韓国語が設置された。すると、英語話者の学生たちが、みるみる間に韓国語が話せるようになったので、翌年、その習得ぶりを自分で体感するために、韓国語の初級コースに入れてもらった。
韓国語のハングル文字の読み書きは、日本語を母語とし、かつ、教師という職業をしていた私の習得が速かった。これは、漢字語彙を共有していること、また、書き順を規則正しく練習をして学んだことが大きいだろう。もしかしたら、アルファベットを書く学生とは、文字の認識、書き順という概念が違っていたのかもしれない。しかし、音声は全く別の話で、会話はイギリスや香港の学生に全く追いつけなかった。
10週間だけ学んだハングルだが20年後の今も私の中に残っている。
20年後の今、残っていないのは、スライド写真を見るという行為だ。1990年に一眼レフで撮った写真は、当時の職場、インターナショナルスクールの、子どもたちに見せるために奮発して、ポジフィルム、つまり1枚1枚個別のスライドにしてある。20年でまさかスライドを見るという行為が消えるとは。(残ったのは、パワーポイントソフトの「スライド・ショー」という一枚一枚を見せるという概念だけだ。)
韓国のスライド写真が入った箱は、20年間の、時間の速さを感じさせてくれる。