空気の歴史 The historic atmosphere of the place
さて、引き続き大久保の歴史について見ていこう。
明治以降、多くのひとが流入し郊外宅地として発達した大久保。では、その新たな住民とは、いったいどのようなひとだったのだろうか。
『「移民国家日本」と多文化共生論』での稲葉佳子さんによれば、おもな住民としてまず挙げられるのは軍人も含む知識階層だ。
国木田独歩や小泉八雲のような文学者のほか、幸徳秋水、大杉栄、荒畑寒村、内村鑑三などなど、社会主義者やクリスチャンの活動家も多く住んでいた。
とりわけ、評論家・文学者の戸川秋骨が当時の大久保をつづった文章によれば、大久保の住民はおよそ三タイプに分かれるとのこと。
軍人、郊外で余生を送りたいリタイア層、そして都心の家賃や物価の高さに追われて郊外に移り住んできた層だ。
この三つめの層は、「遊牧の民のごとく移動する定住の家なき民」なのだそうで、ぼくもまさにそうやって大久保に越してきた身だから、個人的にはなんとなく共感したり。
ところで、この他、大久保の住民として忘れてはならないのが、外国人の存在だ。
百人町二丁目には外国人音楽家が集住する村があったほか、日活の社長が亡命中だった孫文を大久保に住まわせたりもしていた。
また大正時代には、米国人宣教師、英国人、学校教師のドイツ人、スペイン人、中国人、朝鮮人、フィリピン人など、多様な国籍のひとが大久保には暮らしていたのだ。
こうしてみると、先の三種類の住民、そして外国人住民のことは、いまの大久保にもかたちを変えて受け継がれているように思う。誰をも受け入れる大久保の空気は、歴史的に醸成されてきたものなのだ。
そして一方で、こんなふうに歴史の痕跡は刻まれてもいる。『怪談』で有名な小泉八雲=ラフカディオ・ハーンは、イギリス領だったギリシャに生まれ、フランスやアメリカでの生活を経て日本にやってきた。その家の跡は、大久保小学校の前でこうなっている。