パラグアイへの道(日本からコルメナへ)The way to Paraguay (From Japan to Colmena)
先日、日本語学校の父母会の遠足でお父さん、お母さんたちといっしょに遠足に行きました。
テーマは・・・
「おじいちゃん、おばあちゃんが日本からコルメナへ来るときに通った道をたどってみよう!」
ラ・コルメナは今から79年前の1936年に日本人が移住したパラグアイ初の日系移住地。
日系人とともに町も発展したと言われています。
町を歩けば、日本人の名前がついた通りや公園を見つけることができます。
日本人会を中心に商店や学校が並び、町が構成されているように見えます。
いかに日系人がこの町の発展を担っていたかがわかります。
しかし現在日本語学校の生徒たちは日系4世の世代。パラグアイの中でも移住の歴史が一番古いため、ハーフやクウォーターの生徒も多く、日本語を話さない家庭も多いです。
そのため自分のルーツが日本にあること、自分のひいおじいちゃんやおばあちゃんが日本からやってきたことを知らない生徒もいます。
そこで今回は1世の方々といっしょに当時のお話を聞きながら移住の道のりを回ることにしました。
日本から船で渡り、首都アスンシオンからは今もう廃止された汽車に乗り、途中からは牛舎に乗り、
コルメナまでやってきたそうです。
今回は汽車で通った駅の跡地を回りました。
生徒たちは初めて見る汽車に大興奮。
そこで当時のお話をお聞きました。
初めてパラグアイ人を見た時、スペイン語を聞いた時の動揺、
今では当たり前に食べているパラグアイの食べ物を食べたときのおどろき、
駅からコルメナまで牛舎で12時間移動していた苦労など当時のお話を聞き、
子どもたちだけでなく父母のみなさんも初めて知ることがあったそうで深くうなずいていらっしゃいました。
お話してくださった1世の方も約70年ぶりに駅を訪れたそうで大変なつかしそうにされていました。
現在パラグアイ第一次移民は6名しか残っていらっしゃらないそうです。
うれしそうに当時の話をする姿を見て、私も同じ日本にルーツのあるものとして、
ぜひ移住の歴史を次の世代に伝えていってほしい
また日本に住んでいる日本人にもこのことを知ってほしい
と強く感じた遠足でした。
ともこ
2015/03/24 @ 11:10 PM
懐かしいコルメナ!日青ボ16生でコルメナに赴任していました。当時はSNSもなく、ネット環境もないに等しい状態でしたので、現地の状況を広める機会がありませんでした。今はこうして日本・世界に向けて情報発信ができてすてきですね。10数年ぶりにコルメナの様子を見ることができました。また楽しみにしています。
Fujita R Sachiyo
2015/03/25 @ 9:29 AM
ともこさん、
藤田ラウンドです。Evaさんからもフィードバックがあるかもしれませんが、まずは私から。日系社会で活躍するボランティアの人たちから日本語でまずは発信すれば、日本社会の中に多面的な、現在の、日系社会の様子が伝わるのではないかという考えから、また、「多文化共生」を具体的に考える機会としてもらうべくこのウェブサイトを始めました。Evaさんはコルメナの様子を子どもたちの笑顔の写真と共にブログに挙げてくださっていますので、これがこの子どもたちが将来読める記録ともなってくれたらとも実は思っています。お友達にもお勧め下さると幸いです。コルメナを始め、日系社会を応援したいですね。
Eva
2015/03/26 @ 4:15 AM
ともこさん、はじめまして。コメントどうもありがとうございます。コルメナの様子は赴任されていらしたころと変わっていますか。きっと教えていらしたころの生徒さんのお子さんたちが今学校の生徒なのかなあと思います。パラグアイの日本語教育も移住地もかなり多様化してきていると感じています。文才はありませんが、コルメナの様子をこれからも発信していけたらなあと思っています。いつかコルメナのお話したいですね。