どら焼きの幻影 Illusion of Dorayaki
ブラジルはパラナ州、人口4万7千人の程良く小さな町に来て3ヶ月強。
日本から戦前に移民された人たちがつくった日系社会は、今や子どもたちの多くは4世の時代。
今の日本は遠く、日本人会の主要な活動のひとつであるカラオケで歌われる曲も、私の生まれる前のものばかり。
おじいちゃんやおばあちゃんが歌うカラオケは勿論、日本で言う「平成生まれ」、しかも、平成も10年以上経ってから生まれた子どもが歌う曲までも、である。
多くの人は日常的に日本語を話さないが、2世のおじいちゃんやおばあちゃんはポルトガル語混じりの日本語をよく話してくれる。
そんな2世のおばあちゃんのひとりに、私のアパートのすぐ近くに住んでいる80代の人がいる。
いつも私を気遣ってくれて、何か料理を作ると、すぐ電話をかけてくださる。
「フェイジョン(ブラジルの代表的料理。お豆の煮物)炊いたから取りにいらっしゃい。入れ物持ってきたら良いわよ」
「お肉炊いたから取りにいらっしゃい。漬物もあるから入れ物ふたつ持っていらっしゃい」
と、こんな具合。
ある日、電話が鳴って出てみると、
「どら焼きがあるから取りにいらっしゃい」。
どら焼きなんて、いつ食べたのが最後だろう?日本でもそんなに食べてなかったのに、ブラジルに来てどら焼きが食べられるなんて…!
と、期待に胸は膨らみ、頭はどら焼きの茶色に焼き上がった生地と中の粒餡でいっぱいに。
ところが。
「はい、どら焼き」と渡された物を見ると、それは、私たちの言うところの「ワッフル」であった。
茶色く焼き上がった生地にカスタードクリームを入れて、二つ折りにしてある、あれである。
お礼を言いながら、そうか、これを「どら焼き」と呼ぶのか……と、ひとつの発見に驚きながらも、やはり数分前まで頭を支配していたどら焼きの幻影は消えない。
かと言って、「それは、どら焼きではなく、ワッフルです」とも言えない。80年以上もそれを「どら焼き」と呼んできたのなら、それはもう、「どら焼き」なのである。
それからというもの、「どら焼きがあるから取りにいらっしゃい」と電話がかかって来ると、「ワッフル、ワッフル」と自分に言い聞かせて出かけていく。
そうだ、いつか調理実習で、粒餡のどら焼きをみんなで作ってみよう。
その時にさりげなく、こちらで言う「どら焼き」の、「ワッフル」という「別名」を紹介しよう。