箸とフォーク Chopsticks and forks
僕はブラジル国サンパウロ州の田舎にある、日本人入植地に住んでいる。
ある日系ブラジル人の家庭を訪れた時のことである。家族構成は幼少期に移民されたお祖母ちゃん、その息子と奥さん子供が二人、計5人暮らし。
食事に招かれたわけだが、総出で食事の準備をしている。「どうぞ座って」と言われたので席を探すが5人暮らしで食卓には6席。どこに座ったらいいですか?と聞いたら返ってきた答えは
「毎日みんな違うからいいよどこでも!」
お言葉に甘えて座るが、今度は食卓に置かれたお箸の塊。なにも手伝わないのにいたたまれなくなり、どのお箸が誰のですか?と聞くと返ってきた答えは
「毎日みんな違うからどれでもいいよ!」
なんとなく不思議になり、聞いてみるとお箸はフォークと同じような感覚だから誰にも属していない。椅子も毎日食べる時間が違ったりだから帰属意識はない。
「いただきます」に始まる食事中の会話は日系一世のおばあちゃんが食卓にいる影響からか、日本語とポルトガル語が交わされる。しかしここはブラジル。食卓のルールや考え方は合理的にマルチカルチャーされている。
ちなみに日本語学校に通う生徒たちに自分たちの家庭ではどうかと尋ねると、食器は誰のか決まっているが座る場所は適当など、家庭によってまちまち。各家庭で文化の融合の仕方が異なるようだ。