ルイキ、志ん朝を聴く。 Luiky listens to Shinsho, the Rakugo master’s art.
ルイキという青年がいる。日系三世、日本語学習歴約10年。
27年の人生で日本滞在歴は1ヵ月のみとのことだが、昨年末、努力の甲斐あって日本語能力試験のN2に合格した。
私は赴任以来、彼に週2回、日本語の個人授業を行っている。同時に彼は、同じ日本語学校でいくつかのクラスを担当する教師でもある。つまり、私にとって彼は生徒でもあり同僚でもある、とても身近な存在だ。
あるとき彼の個人授業にて。
前から試してみたかった落語を聴かせてみた。
最低限のこと以外、予備知識はほとんど与えていない。
根多(ねた)は、古今亭志ん朝『時そば』。
数多い古典落語の中でも、おそらく最もよく知られた演目の一つであろう。
どうなったか。
残念ながら(というか、ある程度想定はしていたものの)、惨敗であった。
ほとんどちんぷんかんぷんだと言う。
まず、一人の演者が正座して何人もの人物を演じ分けるのがよく分からない。
また例えば、肝心の銭を勘定する場面。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、、、」とはどの教科書にも載っているが、「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、、、」などどこにも載っていない。そしてその単位は円でなく文(もん)だ。
他にも、わずか20分ばかりの根多の中にこれでもかと散りばめられた江戸の習慣、風俗、スラングの数々。
ルイキは、私の受け持ちの生徒の中では、というよりここポルトヴェーリョの全日本語学習者の中でも、おそらく日本語が一番達者な人間である。対する志ん朝は、近年の噺家の中で最も口跡が明瞭な部類であろう。
その両者にして、いまだ横たわる膨大な階梯。
彼の疑問符に満ちた新鮮な反応を見るにつけ、こうした芸能が、いかにハイコンテクストな環境に立脚したものであるかを、改めて認識してしまう。
しかるに先日。
我が日本語学校では、最近幸運にも野球の道具が中古で手に入り、生徒の間で野球が大流行している。むろんルイキも例外ではない。授業後に一人で投球の練習をしているほどだ。
落語の次、懲りない私は、そんな彼に日本野球の象徴である長嶋茂雄選手の引退スピーチを教材にして聴かせてみた。そう、「我が巨人軍は永久に不滅です」とやるあれである。
こちらのほうの初見での理解度は、落語よりは随分上がって40%とのこと。
残りの60%は、これまたハイコンテクストに依るものなのか、それとも長嶋氏の独特の言語感覚(?)の為せる業なのか。
とまれ、すでに普通に会話したり読み書きしたりするには全く問題ないレベルにある彼には、あとはできるだけいろいろな種類の日本語のシャワーを浴びせ続けてやろう、と思いを新たにした次第だ。
そして彼の年来の夢であった日本留学が、来年実現することを私は願っている。
最後にルイキくん、いつも教師の気まぐれな趣味と実験に付き合わせてごめんなさい(笑)