カソリック教会内の「共通語」としての日本語 Japanese as ’lingua franca’ in a Catholic church
カソリック教会で「バイリンガル家族」について話をした時、日本語が「共通語(リンガフランカ)」として使われている場面に出合った。 私を招待してくださったシスターの部屋で打ち合わせ後、シスターは用事をすませるために部屋を出た […]
カソリック教会で「バイリンガル家族」について話をした時、日本語が「共通語(リンガフランカ)」として使われている場面に出合った。 私を招待してくださったシスターの部屋で打ち合わせ後、シスターは用事をすませるために部屋を出た […]
新大久保というとコリアンタウンだけど、実はこの街はそれだけではないもっとたくさんの顔を持っている。 それを教えてくれるのが、大久保駅を中野方面に出てすぐ、通称「イスラム横丁」だ。 ここはその名の通り、イスラム文化圏のもの […]
前回の投稿のころはまだ寒かったのに、もう大久保にも桜が咲き始めた。来週には、きっと満開だ。 少し日が経ってしまったけれど、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。 ぼくはというと、今日から少し関西に出かけるこ […]
「パイカジ、南風、が吹くときは沖縄ではみな漁にでんのさ」という趣味で魚釣りをしているというおじい。 今日は日差しもきつく、気温も高い。地図を見ながら集落を歩き回っていると汗がでてくる。 どこにいても、海が見えるので、その […]
全然見ないでいるうちに、ソチオリンピックは終わってしまったようだ。さて、1964年の東京オリンピック後、70~80年代の大久保はいったいどんな町になっていったのだろう。 かねてから引いている稲葉佳子さんの本 […]
前回書いたように、大久保は歌舞伎町のベッドタウンとして発展してきた。 けれどいま、大久保・新大久保と聞いて真っ先に浮かぶイメージは、韓流の街ということだ。日曜日には、たくさんの観光客が大久保通りを行きかう。どのように大久 […]
もう2014年も2月に突入したけれど、昨年2013年は、1923年の関東大震災から90年だった。 関東大震災といえば、大地震・そして火災によって多くの被災者を出すとともに、根も葉もない偏見やうわさが流布し、住民の自警団そ […]
さて、引き続き大久保の歴史について見ていこう。 明治以降、多くのひとが流入し郊外宅地として発達した大久保。では、その新たな住民とは、いったいどのようなひとだったのだろうか。 『「移民国家日本」と多文化共生論 […]
さて、そんなわけで大久保の歴史を調べています。 前回書いたのが、百人組のいた頃、江戸時代の話だった。ではその後、明治以降の近代化では、大久保はどのように変わっていったのだろう。 そこでまた参考にしたいのが『 […]
年を越している間に、前回の記事からずいぶん間が空いてしまった。 ぼくはこの間、ちょっとした調べものをしていた。 それは、大久保の街の歴史についてだ。 前も書いたように、ぼくの住んでいるあたりは百人組という集団の由来の地ら […]