2014年2月:フィールドノーツ(2)久松ことばと漁、そしておじい Fieldnotes 2 Miyako Island
この左の写真の奥に見えるのが伊良部島である。来年には、伊良部島と宮古島が結ばれる橋が開通される。そのため、橋がかかる後を見越して、宮古島中心地から久松に繋がるあたりは、道路沿いに新たなマンション、コンクリートの建物が著し […]
この左の写真の奥に見えるのが伊良部島である。来年には、伊良部島と宮古島が結ばれる橋が開通される。そのため、橋がかかる後を見越して、宮古島中心地から久松に繋がるあたりは、道路沿いに新たなマンション、コンクリートの建物が著し […]
宮古島は2005年10月1日に旧5市町村が合併して、宮古島市となり、現在は、「宮古島」「池間島」「大神島」「伊良部島」「下地島」「来間島」の6つの島、そして「多良間島」「水納島」が宮古郡多良間村に属している。 私は「多文 […]
「パイカジ」で釣りに行かれなかったおじいが、連れて行ってくれた場所は、宮古島の「島の駅」というところだった。宮古島のお土産をはじめ、焼きたてのパンやケーキ、そとでは宮古そばを売っている。 あと3時間後にインタビュー調査が […]
「パイカジ、南風、が吹くときは沖縄ではみな漁にでんのさ」という趣味で魚釣りをしているというおじい。 今日は日差しもきつく、気温も高い。地図を見ながら集落を歩き回っていると汗がでてくる。 どこにいても、海が見えるので、その […]
全然見ないでいるうちに、ソチオリンピックは終わってしまったようだ。さて、1964年の東京オリンピック後、70~80年代の大久保はいったいどんな町になっていったのだろう。 かねてから引いている稲葉佳子さんの本 […]
沖縄県宮古島は、沖縄本島から飛行機で40分、先島諸島に属する島である。 2014年2月のまだ雪の残る東京から一気に宮古島に来た私の目には、目がくらむような日差し、そして、緑と花の色だった。現地の方から、1月2月は花が一番 […]
前回書いたように、大久保は歌舞伎町のベッドタウンとして発展してきた。 けれどいま、大久保・新大久保と聞いて真っ先に浮かぶイメージは、韓流の街ということだ。日曜日には、たくさんの観光客が大久保通りを行きかう。どのように大久 […]
Live Multilingually 映像プロジェクト、第二弾です。今回のインタビューの相手は、アメリカのニューヨーク州バッファロー生まれで、オハイオ育ち、現在日本の大学に留学しているRosieです。日本語に興味を持っ […]
もう2014年も2月に突入したけれど、昨年2013年は、1923年の関東大震災から90年だった。 関東大震災といえば、大地震・そして火災によって多くの被災者を出すとともに、根も葉もない偏見やうわさが流布し、住民の自警団そ […]
さて、引き続き大久保の歴史について見ていこう。 明治以降、多くのひとが流入し郊外宅地として発達した大久保。では、その新たな住民とは、いったいどのようなひとだったのだろうか。 『「移民国家日本」と多文化共生論 […]