語られた思い ―「在外被爆者」という存在― Tolding the feelings and thoughts: ‘Zaigai-Hibakusya’ (overseas atomic bomb survivors) in Brazil
1908年、最初の公式な日系移民を乗せた笠戸丸が到着した港町サントスで、私は日系日本語学校教師として働いている。
ここサントス市は、長崎市と姉妹都市であり、毎年8月9日には慰霊祭が行われている。今年は日本人会会館で原爆写真展、「はだしのゲン」上映会、そして被爆者の方の講演会が行われた。
「在外被爆者」という言葉を聞いたことがあるだろうか。被爆者で、かつ海外に移り住んでいる方々のことである。移住の場合もあれば、当時在日していた外国人が帰国した場合も含まれている。彼らは、日本国外では被爆に対する補償が受けられないという問題に直面し、長きに渡って裁判で闘ってきた。
その一人であるブラジル被爆者平和協会の森田隆会長が、その苦労の歴史をポルトガル語で語ってくださった。ただでさえ戦争、被爆という困難に加え、移住を決断し、慣れない地で言葉や文化の違いに戸惑いながら必死で生きてきた方である。すべてのポルトガル語が理解できたわけではなかったが、一つ一つの言葉に胸が詰まるようだった。
差別を恐れて被爆者であることを隠して生活している人が多く、被爆者の会を設立する際にも困難が伴ったという。
また、現在の問題は被爆者の高齢化である。森田会長ご自身もご高齢ではあるが、戦争の恐ろしさ、原爆のむごさを伝えるため日々世界中を飛び回っている。
「思い出したくもないが、直接語ることに意味があるんだ」。
身を裂く思いで語られた言葉を受け取った我々は次に伝えていかなければならない。地球の反対側だからこそ、日本に伝えられる思いがある。伝えなければいけない思いがある。