バベルの学校(フランスのドキュメンタリー映画) School of Babel (French documentary film)
http://unitedpeople.jp/babel/ ユナイテッド・ピープルのウェブサイト宣伝用の画像 (c)pyramidefilms
「多文化共生を再考する」シンポジウムでの、ジョン・マーハ先生の講演タイトルが「バベルと言語不安」でした。そんなこともあり、ドキュメンタリー映画『バベルの学校』の試写会とその後に行われた善元先生の(これまた私たちのシンポジウムのスピーカーの講演者ですが)トークに行ってきました。
『バベルの学校』は、配給元の資料によると、フランスに移住をしてきた24人の、フランス語を集中的に学ぶ「適応クラス」のドキュメンタリーです。この24名のバックグラウンドは20国籍ということで、これはまさに、多国籍、多言語、まさに多元性抜きには語れない「多文化共生」の実践現場です。
映画を視聴して、まず私が感じたことは、この教室の子どもたちの言動の中から、自分たちの母語、文化、宗教、家庭の状況が自ずと浮かびあがることです。お互いの対立、誤解といった苦い経験、また、新たな発見、友達の持つ文化と自分との異なりから生じる、驚きとわくわくといった心踊る経験、まさに教室の中は異文化コミュニケーションの実験場のような、異文化摩擦の積み重ねの連続です。
この映画の子どもたちは、思春期の中にある自分たちの葛藤を抱えるだけではありません。国境を越えるのは自分たちの選択ではない、大人の「都合」に振り回されたというやりきれなさ。移動をしたことにより、それまでの根っこが引き抜かれた言語的かつ文化的なもどかしさ。自分の力ではどうにもならない不条理な状況に追い込まれます。しかし、その一方で、「移民」としてフランスでは同じマイノリティの中に入れられてしまう仲間がいて、この教室の中で肩を寄せ合い、いつのまにか家族のような暖かい集団となっていく一面も映画の中で立ち上がってきます。
映画監督のまなざしがぶれていないところが潔く、鋭い目と暖かい目の両方を持っている印象でした。子どもたちを常に中心に置いて、子どもたち自身のことばや子どもたち同士のやりとりの中で、一人一人の子どもの社会的な文化的な言語的な状況を浮かび上がらせる、そこにきれいごとではない生々しさが立ち現れるように思います。国境や言語を越境する子どもたちの成長と、一言できれいごとのようには言いがたいのですが、それでも生々しい日々の積み重ねの中で、ティーンエイジャーたちは、明らかに越境したことによって身につけざるをえない新たな知恵、人生の機微をセルヴォーニ先生に見守られながら身につけていると言えそうです。
翻って、日本でも、善元先生の「日本語国際学級」の教室が存在し、また現在進行形でも日本の学校への「適応教室」で個人の先生方が日々汗を流していることは事実です。しかし、この『バベルの学校』の映画がフランスの言語政策を映し出したように、ティーンエイジャーの年代の子どもたち、また子どもたちの教育のための親や家族への働きかけをするといった、学校をあげての教育支援は日本では可能でしょうか。
多文化共生を考える上で、ご興味のあるかたはぜひ足を運んでみてください。
http://unitedpeople.jp/babel/screening