沖縄と多文化共生(1) Okinawa and Multiculturalism (1)
那覇の国際通りを歩くと様々な人々を目にする。本土からきた旅行客、地元の沖縄の人々、海外(特にアジア)から来ている旅行客。那覇から少し離れた基地の町にいくと、米軍兵士も多く居る。南国の太陽の下、三線の歌が心地よく流れる。真っ青な空に、白い入道雲が映える。沖縄は、様々な文化が混ざり合う多文化共生のモデルのようだ、ともとれるかもしれない。
今回、私は大学のサークルの研修で1週間沖縄に行った。様々な活動をしたが、その中の一つとして、現地の学生団体の方と共に、普天間基地の移転先として注目を集めている辺野古に行き、抗議者と共にカヌーを少しこがせてもらった。そして、炎天下の中キャンプ・シュワブの前で座り込みをする人々に参加した。米兵からの性暴力事件が起こった街も案内してもらった。その経験から感じ、考えたことをシェアしたいと思う。
まず、研修を通して全体的に感じたのは、沖縄は第2のハワイ、グアムのようだということだ。もともとは、別の国だったのが、武力により制圧され植民地となった。宗主国に組み込まれてからも、「準州」として扱われ続けた。軍隊の基地が集中し、教育の幅は狭く、賃金は圧倒的に低い。貧困の問題も大きい。若者は、将来の機会を求め本土へ流出する。
沖縄は、近世まで中継貿易を主として栄えた「琉球王国」だったのだが、近代に入ると明治政府の「琉球処分」により正式に日本国家の領土とされた。皇民化政策により、沖縄の人々は沖縄のことばを話すと罰として「方言札」をかけさせられたという歴史もある。戦時中は地上の激戦が繰り広げられ、戦後は1972年までアメリカに統治された。現在、在日米軍基地の75パーセントが沖縄に集中している。そして、基地に反対する一部の県民の声は、なかなか東京の政府に届かない。沖縄の最低賃金は、日本でかなり低い水準である。(続)〜