沖縄と多文化共生(2)Okinawa and Multiculturalism (2)
(続き)沖縄の教育や制度は本土のものに拠っているため、「本土化」が進んでいる。私が「植民地だ」と思った一番のポイントはここであった。実際、那覇にいて大型デパートにいたりすると、「ここは東京?」と思うときがあった。沖縄の学生と交流すると、接するメディアや教育が日本のものであるため、お気に入りのお笑い芸人も日本人だ。だが、歴史的、政治的に「日本人」とされなかった期間が長い沖縄の人々が、東京の芸人のギャグに笑うという事実が、胸に残る。
自分が生まれ育った街が米軍基地のフェンスで囲まれていることを日常だと思っていた、と沖縄の学生が標準語と若者言葉で伝えてくれた。沖縄の言葉は聞くとわかるが、話すことはできない、という。車のラジオからは、米軍から漏れる英語のニュースが流れてくる。
沖縄では、沖縄、日本、アメリカなどの多文化が共に生きている、と言えることはいえる。しかし、どのような過程を経てそうなったのだろうか。
多文化の中の、個々の文化やことばは同じ重みを持っているのだろうか。
本土で育った私は、この現状とどう向き合えばいいのか。
「完璧な」日本語で、沖縄の学生が「この土地の構造的暴力を見てほしい」と言ったのが、私の耳を離れない。