慰霊の日を過ぎて思い出したこと(1) Recollecting the Okinawa memorial day of this year (1)
今回は6月23日の「慰霊の日」について書きます。
慰霊・・・辞書には「死者の霊をなぐさめること」とあります。
慰霊の日は「生き残った人たちにとって大切な日」であると私は思っています。心を落ちつけて、未来に顔を向けるためにこの一日があると思うのです。
今年も例年通り、沖縄県平和祈念公園(糸満市)にて「慰霊祭」が行われました。正午の黙祷を迎える前に式典が行われます。私は子どもの頃、23日の朝から祖父や祖父の妹弟や家族みんなで来たことを覚えていますが、式典に参加したことはありませんでした。この日だけは道路が大渋滞になるので朝早めに家を出て、公園に着くと自分たちの家族・親戚の名前が刻まれた礎(平和の礎)に真っ直ぐ向かっていきます。敷地が広いので結構歩きます。
祖父たちは大理石に刻まれた家族の名前を撫でて、水をかけて手を合わせます。
線香をたいて花を供えているところもあります。しばらくそこに座りながら「これは○○のお兄さんさ。これは○○のお父さん、うちからしたら叔父さんよー」など家族関係を教えてもらったりします。そこに長居はしません。たまたまその場で会った親戚の人と挨拶を交わしますが、いつものような会話が弾む様子は見たことがありません。
ずらーっと犠牲者の名前が刻まれた礎(いしじ)は平均的な身長の高さほどあり、波打つようにジグザグに置かれています。
※この画像はGoogle マップのストリートビュー(画面右下のオレンジの人型を移動)で見ることができます。
平和の礎は、その「建設の趣旨」として「・・・国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ祈念碑」としています。戦場では敵として戦った米軍や連合国軍側の戦死者の名前も刻まれているのです。
※軍夫として強制的に連れて来られた多くの朝鮮人や台湾人など、アジア諸国の犠牲者も含まれますが刻銘を拒否する例も多いようです。
礎の波を通り抜けるとひらけた空間になっていて、この崖の上からは太平洋を一望できます。海と空のあいまいな境目を眺めていると「なんにも無いな~」となんだかボーっとしてしまいます。
しかし振り返れば、確かにそこに71年前の犠牲者たちがいて、生き残った遺族や新たに生まれた私たちがいることを実感します。
(続く)