沖縄県・某町史編さん事務局で働いています(後半)
airiです。前半からの続きです。
◎聞く側の思い込み/伝える側の工夫
沖縄戦の体験を聞いたり読んだりしていて、体験者はあの時の自身の行動や見聞きしたことを誰に伝えようとしているだろう?ある時、まるで上官へ報告をしている少年兵のようだと、ふと思った。一通りの「報告」をして、ようやく目の前にいる聞き手(の私)に気づく。その瞬間、全く言葉が出てこない様子をみせて少しの「間」が出来る。それから体験者は、過去の人として改めて聞き手(の私)に向き合い語り始める。たった30分~1時間という短い時間の出来事。このようにして聞き手の想像力を喚起するための、いろいろな語り方をされているのだなーと最近ようやく気がついた。……これまでの私は、ただボーっとしていたのだろうか。
「あのとき」を伝えようとする姿勢は本当に凄い。もちろん「あのとき」を話したくない体験者はたくさんいる。「思い出すと辛い」、「夜眠れなくなる」という方が大半だと思う。思い出したくないはずの経験を(もしかすると無理やりに)聞き出して、私たちは一体何のために沖縄戦の証言を記録しつづけるのだろう。
◎受け止めるのは誰か
私たちは「戦争体験」とどのように向き合うのか。事件の一証拠として、歴史の当事者として、犠牲(死者)の代弁者として、子や孫あるいは親戚家族として、アイデンティティ継承の一環として…。知らないことを知るだけでは終わらない。ここから少しずつ変わっていくことがあるかもしれない。それに気づけるかどうか。聞く機会がある私たちはこの時間を大切に記憶し、いつか改めてふり返るべきだろう。
私の周りにも戦争を体験した人たちがいる。戦争を生きた人たちが未だに現役で畑仕事をしていたり、時には趣味のカラオケを楽しんでいたり、あるときは地域の伝統芸能のリーダーを務めていたりと、今でもコミュニティで活躍をしていたりする。中には、車いすや寝たきりの状態であったとしても、それでも「もの語り」が好きで、声や表情、その身振り手振りを通して一生懸命、昔の話をしてくれる。そこに戦争前後の話が一部入っていたりする。こうした未だに現役でいるその姿は、私にとっては、沖縄戦を記録して学ぶための原動力になる。あの戦争と今の私を繋ぐための、そして未来に繋げるための希望のために、生きて存在してくれているような、そんな安心感も感じられる。
あの戦争は何だったのか、なぜ繰り返されるのか。その答えは曖昧なまま、基地撤去が実現しなかった経緯も現実も苦しさも、ずっと続いている。安全なところで対話をして過去と向き合い、可能性を見出せないか。記録や編集の作業を通して見つかることもあるかもしれない。それを信じて、目を見開いて生活を見渡し、いろいろな声を聴きたい。考えることを辞め(させ)ない工夫につなげたいと思う。
(左)現在 ※Google Earthより (右)本島上陸前1945.3.24. ※沖縄県公文書館所蔵