リトアニアの多様性(1)かつての最大の少数民族ユダヤ・コミュニティ Diversity of Lithuania(1)The largest minority ethnic group in the past, Jewish community
久しぶりに書いておりますが、これからまた少しづつ、私が生まれ育ったリトアニアという国の多様性を紹介したいと思います。
今回は、かつてのリトアニアの最大の少数民族で、不可欠な遺産を残してくれたユダヤ人のコミュニティの紹介です。
残念ながら、リトアニアにおけるユダヤ人の歴史は非常に悲惨で、その悲劇性は統計でも表れています。1923年のリトアニアのユダヤ人の人口は15万人(およそ7.6%)を超えましたが、2011年の国勢調査によると、3050人(0.5%) しか残っていないそうです。
ユダヤ人の人口の減少といえば、主な理由が4つがあります。
1. 政治的な理由、あるいは経済的な理由のせい、パレスチナやアメリカなどに移動していたユダヤ人も含まれました。
2. ソビエト占領から1年間目、1941日6月14日に他のリトアニアの人とともにシベリアに追放されたユダヤ人です。当時の人口の1%は被害者となったということです。
3. 残りの人口が多く、1970年代以来、好んで、あるいは無理やりにも、イスラエルに行かせられた人も多くいたということです。
4. しかし、一番ユダヤ人の生活に影響を与えていたのが、ホロコーストという大量虐殺でした。ナチスドイツ占領の時代(1941-1944年)に、ユダヤ人が大量に組織だった計画のもと(systematically)殺害されてきました。その結果、9割(!)のユダヤ人がホロコーストの被害者になったということです。強制収容所の経験を生き抜いたユダヤ人の中にソビエト・リトアニアに戻った人々はほとんどいなかったそうです。
一方、ユダヤ人を救おうとしていた人々もいました。そういう人たちは「諸国民の中の正義の人」と呼ばれ、死からユダヤ人を救ってくれたのが877人のリトアニアの人でした。それだけでなく、ビザを発給し、ユダヤ人を救ってくれた領事2入もいました。その人物とは杉原千畝(日本)とJan Zwartendijk(オランダ)でした。