新大久保から発信:「共に生きる」方法を探る Local action in Shin-Okubo
このブログの原点である「多文化共生」を再考するときに、私はやはり長年関わっている「新宿区」というフィールドに思いを巡らせることが多い。
この写真は大久保にある図書館の昨年行われた展示企画のときの写真である。図書館の館長はじめ職員の方々が意識的に多言語・多文化についての働きかけを日常の中で行っていることを伺った機会であった。例えば、韓国語・中国語を中心に、タガログ語、タイ語、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語の絵本などを少しずつ集めてきたということが、言語を背景に持つ将来を担う子ども、日本にいるその子どものために自らの母語で読んであげる親、こうした家族の言語維持を支えることになる。
現在の私と新宿区との関わりの一つに、「新宿区多文化共生まちづくり会議」がある。これは新宿区の区長の諮問(「外国にルーツを持つ子どもの教育環境の向上について」と「災害時における外国人支援の仕組みづくりについて」)について話し合うために、2012年9月から2年間の任期で、私を含め、31名の委員が選出された。http://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000118923.pdf
会議委員の構成は、外国籍の委員が15名(韓国、中国、ミャンマー、ネパール、フィリピン、タイ、フランス、アメリカ)、日本国籍が16名、使用言語は日本語である。つまり、区長に答申を出すための会議で、まちづくりに関心のある「外国籍」住民の代表が、将来の新宿区のあり方を「日本語」で話しあっているわけであり、新宿区にはこのような高度「人材」が住民の中にいるということでもある。
そのお一人、李スンミンさんが関わっているイベントが今週から始まる。「2014新大久保ドラマ&映画祭」ウェブサイトの挨拶に「街自体が文化の発信地となって文化交流を促そう、新大久保をもっと多くの人を引きつける街にしようという、街の内側から魅力を高めていく発想(http://shinokubo-dramafilm.com)」とある。これは「新大久保」を地元として共に生活をする人たち同士がお互いに恩恵を被り、お互いを豊かにするための試みではないだろうか。地元で、生活をし、ビジネスを行い、自分の基盤を築いている住民同士である。そこには「国籍」という境界線はないはずである。
大久保が舞台になったヘイトスピーチのデモは記憶に新しい。このような外側から持ち込まれたレイシズムとは別に、地元の人たちがそれぞれの得意の分野で、日常の中で起こしているアクションについても、私たちは知っておきたいと思う。
アリス
2014/03/19 @ 10:25 AM
日本も段々多文化共生の国になってきているんですね。ブラジルのような多文化共生があたりまえな国にいると、異文化にあまり抵抗はありませんが、日本もそんなふうに変わってきているんですね。
Fujita R Sachiyo
2014/03/23 @ 7:12 AM
私は日本語教育に関わるブラジルの先生たちに会うたびに、ブラジルの多文化の様子を聞きますが、やはり、多文化共生は当たり前な状況があるのですね。日本では地域によって差があると思いますが、少なくとも私が知っている新宿区では確実にさまざまな問題を乗り越えてきて、変化を遂げていると思います。これからどのようになるか、またご報告しますね。