北海道・阿寒アイヌの歌と踊り Songs and dances of the Aynu in Akan, Hokkaido
5月15-18日の日本文化人類学会50周年を記念した国際研究大会(IUAES2014)「人類学の明日、人類学との明日」に行ってきました。
初めての文化人類学会だったので、自分の発表(これに関してはまた別の機会に)が終わった途端に、わくわくしながら、新しい「文化」が体験できそうなパネル内容を選んで回りました。イギリスで老人ホームの高齢者がSNSを使って地域にネットワークを作る研究発表とか、エチオピアと北カメルーンの映像文化人類学のドキュメンタリー映像セッション、そして、阿寒アイヌの人たちの歌と踊り。今回は、アイヌの踊りのおおらかさをおすそ分けしたいと思います。(今回の写真・動画は、カメラを忘れた私の隣に座っていた、ポーランドの文化人類学者であるAleksandraから提供をしてもらいました。Dziękuj, Aleksandra.)
これは、Songs and dances of the Aynu: heritage and practice in Akan, Hokkaido, Japanというセッションで、国立民族博物館の先生が企画をしたものです。アイヌ民族といっても、それぞれの集落ごとの踊りの特徴もあるということを伺い、踊りは限りなく「言語」に近いものであることを目のまえのパフォーマンスで体感しました。「歌」や「踊り」や「ことば」が同じレベルで人間にとってのコミュニケーションであることが身に迫ってきました。アイヌの人たちが培ってきた世界観が、特に自然の表現がとてもおおらかで、ゆったりして、心に沁みるものでした。
踊りと歌の最後に1人の研究者がアイヌのグループリーダーに、「短くてもいいので、アイヌ語で何か物語とか詩を言っていただけませんか」と尋ねました。通訳を介して、その質問を聞いたリーダーは困ったような顔になり、「ええと、私は英語を学ぶようにアイヌ語を学んでいるので、物語とか、アイヌ語で話すことができないのです」と返答をしました。
この時に、1990年調査でアイヌ語を第一言語とする人が80歳以上の高齢になっているという報告があったことを思い出し、2014年のこの日、踊りと歌を見た後での、目の前にいる40,50代のアイヌのリーダーのことばに、目のまえの踊りや歌は語り継がれている部分と、学ばれている部分があることに気づきました。
文化と言語は、近代化が進んだ現在、どのように遺されていくのか。アイヌの踊りの、ゆったりとした、広い大草原を回想させる踊りと歌とリズムに浸った後で、私が心を寄せている宮古島の、久松ことばとの共通している「文化」と「言語」の問題を思い出しました。