地元のまち歩きに参加してきました I joined in my local walk tour in Okinawa.
4月末、地元の「まち歩き」に参加してきました!
沖縄本島南端にある八重瀬町は、旧具志頭村と旧東風平町が合併し10年前に出来た町です。今回参加したのは旧具志頭村の中心である「ぐしちゃんむら(具志頭集落)」を地元ガイドに案内してもらうコースでした。
『歩っちまぁーらなぐしちゃんむら』
八重瀬町ホームページ内 紹介ページ
主催:八重瀬町ガイドの会
時間:朝10時~正午(約2時間)
集合場所に着くと、さわやかなブルーのポロシャツとスニーカー姿のガイドさんを見つけました。
「地元のことは祖父や父親に聞く」のが定番だった私は、母親(より少し年上の)世代の女性から地元の歴史や土地のことを教えてもらうことがあまり無かったのでどんな話が聞けるのだろうと期待感が高まりました。
しばらくして、ほかの参加者が2組(計5名)合流してそろった所で一つめのポイントへと向かいました。
①ハナンダー(自然橋)
「琉球石灰岩により形成された天然の橋」で「本来は洞窟であった」。その名前は1702年の記録から登場し「古くは近世琉球時代からの交通の要所」であったとのこと(説明版より)。
地元出身のガイドさんによると、学生時代は学期末に教具を洗いに来たり普段は水遊びをしたりして使っていたらしいです。全体的にぐにゃりと曲がったアーチとだらりと垂れ下がる鍾乳石の形は少し不気味さもあります。人の手で修復が加えられてはいるものの、圧倒的な存在感や自然の雄大さを感じました。
②間切番所跡とその周辺
○間切番所跡(現 郵便局)
「間切」というのは現在の「市町村」です。血縁を中心に成立していた集団(ムラ)が各地に散在している頃から一つの国へと移り変わる過程で、中央集権制が敷かれて「間切」が確立したといわれています。旧役場跡地と同じ敷地内にあります。かつても今も、村の中心地となっています。
○旧中学校、旧村・役場庁舎
戦後、中学校として使われてその後2015年まで村、町役場として再利用されていた建物。今後は文化センターなどの再々利用が検討されています。写真左上の写真は「V字ガジュマル」の愛称で慕われている木です。卒業生が学校への贈り物として、近くの山から切り倒してきてこの場所へ植えたそうです。
○下知役(げちやく)詰所跡(現 資料館)
間切の時代、「(苦しい増税により)疲弊した間切の再建のために、首里王府が派遣した役人」の施設跡。同じ頃、その施設内には裕福な家庭の子どもたちが学ぶ「筆算稽古所」があって、その後は小学校として利用されていたそうです。間切番所跡がある敷地のすぐ向かい、フクギ並木の通りにあります。
○フクギ並木
沖縄戦を生き抜いた樹齢400年程の福木が70本以上並んでいます。
○いーち(上地)のしーしー
現在の整備されたフクギ並木は一部が上地家の庭だったそうです。この地の有力者の家で広い土地を所有していたそうですが、現在では公共施設や駐車場などとして提供しているとのこと。
(写真右下)
フクギ並木の途中、車道側の壁に埋め込まれている“人面岩らしきもの”。地元の人は子どもの頃、おまじないをかけると幸せになれる、といって遊んでいたらしいです。
③具志頭集落の中心へ
○具志頭公民館
家が密集する細い道を抜けると、かつての「ウマイー跡」である幅広で真っすぐな道へ出ました。その端に具志頭公民館があります。ガイドのお一人は県外出身でここへお嫁にやって来て、しばらく公民館の仕事をしていたそうです。その時期に地元の話を地域の先輩方から聞かされて多くを学んだことで、今のガイドにつながっていると話してくれたことが印象に残りました。
○屋富祖井(ヤフガー)
(↑写真真ん中)
具志頭集落の南側にある山の中へ下った所にある湧き水です。「昔、干ばつで人々が困っていたときに屋富祖(やふそ)家の犬がずぶ濡れになって現れたのを不思議に思ったムラの人が犬の後をついて行って見つけたという場所」(『八重瀬町まちあるきぶっく』より)です。
私の家からは歩くと1時間以上かかる場所にあって初めて訪れた場所でしたが、私の同級生がヤフガーで子どもの頃に遊んだことをよく話していたので今でも地元に人に愛される場所だといえます。お正月の行事「初水撫」に利用されたり、普段の生活では農業用水として使われています。
○具志頭城跡公園
(↓写真右下)
太平洋が一望できる断崖絶壁の上にある公園です。「14世紀から15世紀中ごろのグスク(城)跡」でもあります。断崖絶壁の下にはサンゴ礁の浅瀬と白い砂浜が広がっています。
○汗水節の碑
勤労の喜びを歌う沖縄民謡です。小学校の頃などは掃除の時間にこの曲が流れていました。馴染みやすいメロディで結構子どもたちに人気だったと思います。最近では振り付けがついたらしく、このツアーの締めくくりにガイドのお二人が披露してくださいました。
同じ町でも少し離れると異なる自然や伝統文化があって、小さな集落ごとの雰囲気的な「違い」の背景を感じられました。いろんな環境で育ってきた人々であっても、同じ町の出身として全く同じ歴史を共有している、というわけでは無さそうです。八重瀬町には23の字(あざ)があり地域ごとに異なる多様な伝統芸能があるそうです。これから少しずつ、私も調べたり体験したりしながら紹介していこうと思います。