街の空気を吸おう Let’s breathe the air of towns
東京都・新宿区。
歌舞伎町と大久保の間、職安通り沿いの某所にぼくが越してきたのは、つい2か月ほど前のことだ。その前はぼくは、横浜市中区の片隅、黄金町というところに住んでいた。
黄金町はちょっと面白い街だった。桜木町やみなとみらいといった華やかなエリアにも歩いて行ける距離だけど、観光客はおそらく来ないだろう古い商店街なども近くて、裏路地に入り込むときにはいつもワクワクしたものだ。
その黄金町を出ることになったのはちょっとした事情があって仕方なく、だった。できればそのまま黄金町に暮らしたかったし、ここに越してくるのは、正直さみしかった。
だけど、どうだろう。もう2か月経ったけれど、ぼくはいつの間にかこの街に馴染んだようだ、自分でも不思議なくらいに。
では、それはいったいなぜだろう。あんなにさみしかったのに、ぼくは黄金町を忘れていっているのだろうか。
いや、おそらくそうではない。直観めいたことを言えば、こことあそこ、黄金町と大久保はすごく似ているのだと思う。
たとえば、看板。黄金町も大久保も、ぼくには読むことのできない文字で書かれた看板がたくさん並んでいる。
あるいは、食事をするお店。ぼくは黄金町で「韓式中華」のお店の常連だったのだけど、そういえば職安通り沿いにも同じメニューを出すお店がある。
また、ちょっと街を歩いてスーパーにでも入ってみれば、売っている食材など、似ているところはいくらだって見つけることができる。
けれど、何よりもふたつの街で似ているのは、空気だ。
もちろん街にはいろんな人がいるし、その中では当然、いいことも悪いことも起きるし、街そのものも変化していく。
でも、そんなことよりも本質的な部分で、ふたつの街には同じ、開放的な空気が流れているように感じることがある。
歴史をひも解けば、どちらの街も、いろんな人が出入りしてきた場所であることが分かる。そしてそこでは、誰もが受け入れられ、居場所を見つけることができる。
そんな開かれた空気が、黄金町に、そしてここ大久保には漂っているのではないだろうか。
これからこのブログを書いていくにあたって、ぼくはその空気を「多文化共生」と呼んでみたい。
その空気はいったいどこから生まれてきて、誰のことを包み込んでいるのだろうか。ぼくはそれを知りたいし、読者のみなさんと一緒に考えてみたいと思う。
そのために、さぁ、街の空気を吸い込みながら、夜の大久保通りへ繰り出そう。